2016年2月23日火曜日

ラテラルシンキング・水平思考での多視点について


多視点について説明しますと言っても、困りますよね。

まず、多視点とは、なにか新語ですかね。

でも、わたしがつくった言葉ではなくて古くからあります。
英語では"multiaspect"といいます。 

例を挙げた方がわかりやすいので、いつものように、たとえ話から。

4月になると新人が入ってきます。
新入社員かも知れませんし、学校では一年生かも知れません。
会社員でも学校でも二年目三年目になれば、その環境に慣れてきます。
つまり、その場での常識が醸成されるのです。
そこで、新人が入ってくれば、常識が無いな! と思ったりします。
ちょっと、漠然としていますね。

えーと。
こんな話を。
今年の新人が報告をしました。
新人Aが1だと言いました。
新人Bは3だと言いました。

両者とも同じものを見ているはず。
先輩であるあなたは、どちらの話を信じますか?

新人が言ったのなら、どちらとも正しいとみるべきです。
なぜなら、まだ、あなたの組織の常識を醸成されていないから。
別の環境にいた新人ですから、見方が違うのです。

新人が見たものの答え。
サイコロ。

もちろん、あなたはサイコロを知っていますから、答えを知った途端にふーん。となったはずです。

サイコロは物体なので、見れば一目瞭然です。
これが常識と言われているもの。
サイコロの写真を載せなくても常識として知っているからこそ、ふーんとなったワケです。

ところが、環境や心情での視点を変えるとなれば、いろいろな見方があります。


もうひとつ、スーパーマーケットで見かけたことを話しましょう。

その日は土曜日でしたけれど、夕方から翌日にかけて大雨が降るという予想です。
売り場もレジもすごく混んでいたわけです。
レジ待ち、わたしの2人前で高齢者の男性がお金を落としました。
小銭です。
レジの人は落とさないようにと両手で渡しました。
ところが、このお年寄りは財布に入れようとして落としたのです。
周りの人が拾うのを手伝おうとしたら「さわるな!」。
エライ見幕で怒りました。
「わしは誰の助けも借りないし、迷惑もかけない!」
実際には、わしがとはドラマの世界じゃないから言わないですけれど、ちょっと脚色しました。
まぁ、言いたいことはわかります。
この年寄りの目から見れば「自分自身は誰の助けも借りない代わりに誰にも迷惑をかけていない」ということです。
でも、この人の5円だとか10円を拾う時間、レジ待ちしているわけで、現実には何人にも迷惑をかけています。
でも、誰にも迷惑をかけていないと思い込んでいるわけです。

多視点の例を挙げるとこうなります。

1.高齢者の男性を主体としたとき
 本人としては誰にも迷惑をかけていないし誰の助けも借りなかった(エッヘン)。
2.レジ待ち客を主体としたとき
 あの年寄りはレジを止めて迷惑だ(イライラ)。
3.レジ係のスタッフを主体としたとき
 お年寄りの小銭を拾うのを手伝ってレジ待ちを減らしたい(オロオロ)。
4.レジから抜けて袋つめしている客を主体としたとき
 あれあれ、頑固な年寄りが頑張っちゃって大変だなぁ(ニヤニヤ)。

まだまだ、店長からの視点とか、通りがかりの客とか、試食販売のスタッフとかいろいろな見方はありますけれど、立場によって視点が変わるわけですね。

話を戻すと、新人に常識が無いな! おまえは! と言った場合、あなた自身の常識なのです。
別組織から来た人は、別組織の常識があるという点に思いをはせる。
これが、多視点という考え方なのです。

もし、新人が遅刻してきたとき、なぜ、遅刻するんだ!
これでは、あまり効果がありません。

なぜ、遅刻するんだという視点は、対立方向にあるからぶつかります。
なぜに対する、いいわけなら、いくらでもできます。
寝坊したから。
親が急に胃が痛いといいだして倒れて。
目の前でお年寄りが倒れたので、病院に着いていってあげたから。
宇宙人にさらわれてようやく解放されました。
etc

よく言われていることですけれど、多視点を考慮しての問いかけとしては、
「遅刻しないようにするには、どうしたら良いだろう?」

新人とは、このように話さなければ、遅刻はやみません。

「どうしたら、遅刻しないようになるかな?」という問いかけは、対立方向ではなくて、新人と同じ方向を見る視点になります。

とまぁ、こういうようにラテラルシンキング・水平思考なら、ビジネスの応用にいくらでも使えるわけですね。

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